研究トピックス
2024.06.28

嗅覚と記憶、嗜好性の関係

今回は、嗅覚と記憶との関わり、嗜好性に関する情報をご紹介します。

  • 嗅覚と香り

    わたしたちには外界を感知するため目・耳・鼻・舌・皮膚を通した感覚機能、つまり五感が備わっています。そのなかで鼻を介した感覚は嗅覚と呼ばれています。
    嗅覚は香りを感じる器官ですが、どのようにして香りを感じているのでしょうか。香りは揮発性という特性を持っています。この揮発性の香り成分が鼻の奥にある嗅上皮に付着すると、そこに存在する嗅覚受容体に受けとめられます。その後、匂い信号として嗅覚神経細胞を通じて嗅球、嗅覚皮質へと到達します。嗅覚皮質に到達した匂い信号は脳の大脳辺縁系で「香り」という感覚として感じ取っています。他の感覚情報は視床を介するのに対して、嗅覚だけは視床を介さずに直接大脳辺縁系に届きます。大脳辺縁系には好き嫌いなどの感情を処理する扁桃体、記憶や学習と密接に関わる海馬があり、本能行動、情動行動、記憶などと深く関わる領域です。1)2)3)

    嗅覚と記憶、嗜好性の関係
  • 嗅覚と記憶、嗜好性の関係

    嗅覚と記憶

    ―ある料理人がかつお節の匂いを嗅ぐと、修行時代の悔しかった出来事や嬉しかった出来事などが鮮明に蘇り、涙を流した―。
    このように特定のある匂いをきっかけに、それに結びついた過去の記憶や感情を呼び起こす現象は、一般的にプルースト現象(Proust phenomenon)といわれています。これはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説の中にある描写が元となっています。
    これまでにプルースト現象の解明を目的とした心理学的な研究が行われており、言葉とその言葉と一致する匂いによって想起される記憶は特に鮮明で情報量が優れ、匂いは過去の記憶を想起するものとして特に効果的であることが報告されています。4)

  • 匂いの嗜好性

    匂いの感じ方や好みは個人によって異なり、それはわたしたち自身の経験によって変化するといわれています。

    年齢の異なる人を対象にした匂いの嗜好に関する研究では、2歳児はスカトール(排泄物の匂い)とβ-フェニルアルコール(バラの花様の匂い)に対する選好が成人とは異なり、どちらの匂いに対しても明らかな嗜好を示さないことが報告され、それは月齢の小さい幼児にとってスカトールが親近感のある匂いであることが考えられるとされています。5)
    TVやSNSなど様々な場面で流れてくる音楽を気が付いたら口ずさんでいた、好きになっていたということを経験したことはありませんか。わたしたちは日常生活の中で様々な刺激に触れていますが、ある刺激に繰り返し触れるほど、それを好きになっていくことを学術的には「単純接触効果」といいます。匂いに関しても単純接触効果について研究がされています。この研究では睡眠中にジャスミンとローズの匂い呈示を4日間繰り返し行った結果、嗅覚の単純接触効果には刺激選択制があること、さらに嗜好が増大するもしくは維持することが報告されています。6)
    その他、脳内では匂いの好き嫌いがどのように処理されているかという研究も行われています。この研究ではハエの匂いに対する行動、嗅覚情報を処理する脳の応答を組み合わせたモデルを作成し、匂いの嗜好は環境依存的に変化する脳内メカニズムになっていることが報告されています。7)

  • 香りがもたらす未知の世界とは

    香りに関する学術的な研究は、Linda B. BuckとRichard Axelが2004年にノーベル賞を受賞する前後から注目されるようになりましたが、香りがわたしたちにもたらす力には未知の世界が広がっています。香りを意識することで新たな世界を知ることができ、想像を超える体験が待っているかもしれません。

    今後もHRCでは、香りの無限の可能性を探索していきます。

参考文献

1) 石井健太郎, におい・かおり環境学会誌, 2015
2) 松尾祥子, 翔泳社, 「プロカウンセラーが教える 香りで気分を切り替える技術~香りマインドフルネス~」, 2020
3) 三上章允, 講談社, 「はじめての『脳科学』入門」, 2022
4) Chu, S., & Downes, J. J., Memory and Cognition, 2002
5) 綾部ら, 感情心理学研究, 2003
6) 阿部ら, 感情心理学研究, 2009
7)L Badel et al., Neuron, 2016