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植物の力を東洋医学的な観点から紐解く ーVol.2
コラム
2025.09.25

植物の力を東洋医学的な観点から紐解く
-気の巡りを整え、日々の幸福感を-Vol.2

現代社会を生きる私たちは、慌ただしい生活の中でたくさんのストレスに晒されています。目まぐるしく変化する生活の中で無意識のうちに疲れが蓄積し、心やからだのバランスが乱れてしまうことも。
特に都市型生活者(※)を取り巻く環境や不調について、東洋医学の視点から紐解きながら、植物がもたらす新たな可能性を探っていきます。Vol.1からVol.3では城西大学薬学部 生薬学研究室の先生方のご協力のもと、植物の歴史的な利用法から現代における活用方法まで、学術的な知見を交えてご紹介します。
Vol.2では「ウェルビーイング(well-being)と“気”の巡り」をキーワードに、北村先生に教えていただきます。

(※) 都市型生活者
ここでは高度に産業化した社会で生きている現代人を指す。

北村 雅史(きたむら まさし)
Profile 北村 雅史(きたむら まさし)

城西大学薬学部 准教授 博士(創薬科学)
分子生物学を基盤とした生薬学の研究に取り組み、薬用資源の作用機序を分子レベルで解明することをテーマとしている。伝統的な薬物資源を現代科学の視点で読み解き、次世代へ繋げることを目指す。

東洋医学に学ぶ、ウェルビーイング(well-being)

近年、「ウェルビーイング(well-being)」という言葉が注目されています。これは単に病気や不調がない状態を意味するのではなく、身体的・精神的・社会的に良好な状態を包括的に捉え、より豊かで満ち足りた生活の質を追求する概念です。日々目まぐるしい生活を送る都市型生活者にとって、心身の健やかさは、多幸感を生み出す基盤となっています。一方で、東洋医学には「未病」という独自の考え方があります。未病とは、まだ明確な病気の状態には至っていないものの、体調の乱れや不調の兆候が現れ始めた段階を指します。この段階で体のバランスの乱れを早期に察知し、適切な対応を行うことで、病気への進行を防ぎ、健康な状態を維持・回復することを目指すのです。ウェルビーイングと未病への対処は捉え方に違いはあるものの、どちらも「より豊かに、健やかに毎日を過ごしたい」という人々の願いを反映していると言えるでしょう。

気の巡りが導く心身の調和

東洋医学において、気・血・水(き・けつ・すい)は体を構成する基本的な三要素とされています。気は生命活動を支えるエネルギーであり、体を温め、血や水の循環を助けるとともに、外からの冷えや風邪といった“邪”から身を守る役割を担います。血は現代でいう血液に近い概念で、全身に栄養と潤いを届けるほか、精神の安定や肌の健康にも関与します。水はリンパ液や汗、唾液などの体液に相当し、潤いを保ちながら代謝や老廃物の排出を助けます。これら三つの要素がバランスよく巡ることで、私たちの健康は保たれています。

なかでも「気」は心身の状態と深く結びついています。気が不足すると疲れやすく元気が出ない「気虚(ききょ)」となり、巡りが滞ると「気滞(きたい)」となって気分の落ち込みや喉の詰まり、思考の停滞といった不調をもたらします。近年注目されるウェルビーイングの概念が心身の健やかさを包括的に捉えるように、東洋医学における「気」もまた身体と精神の調和に深く関与しています。気の巡りをよくすることは、心を落ち着けるだけでなく思考を明晰にし、集中力や記憶力といった精神活動を健やかに保つことにつながると考えられています。

植物の力を東洋医学的な観点から紐解く ーVol.2

記憶をつなぐ生薬と精油

「記憶」に関連する生薬としてオンジ(遠志)という生薬があります。オンジは古くから健忘や不眠、精神不安の改善に用いられ、名前はオンジを服用することで「志が遠大になる(目標や理想が壮大になる)」ことに由来します。中国最古の本草書とされる神農本草経では「智慧を益し、耳目を聡明にし、物を忘れず、志を強くする」と記載され、記憶のはたらきを助けるとされてきました。 現在でも人参養栄湯(にんじんようえいとう)や帰脾湯(きひとう)といった漢方薬に配合され、記憶力の低下や神経症状の改善を目的に用いられています。これらの漢方薬は補気薬(気を補う薬)や理気薬(気の巡りをよくする薬)と相まって、オンジが安神薬(心を穏やかにする薬)として機能を発揮しています。
一方、西洋に目を向けると、ローズマリーは記憶力を向上させる植物として古くから親しまれてきました。その爽やかな香気は気分を明るくし、心を整えるものとして時代を超えて受け継がれています。また、現代では精油という形で広く親しまれ、アロマテラピーの分野でも活用されています。
芳香成分を含む生薬は、気の流れをよくする「理気薬」としてはたらくものが多く、芳香成分が気の停滞を改善すると考えられます。そのため、ローズマリーがもつ理気薬としての性質は、現代人のライフスタイルに自然に溶け込み、広く受け入れられている所以だと考えられます。近年の研究ではローズマリー精油に鎮痛作用や抗不安作用が示唆されており、古代から現代に至るまで、その香りが人々の健やかな生活を支えてきたことが伺えます。

植物の力を東洋医学的な観点から紐解く ーVol.2

皮膚の細胞が“香り”を感じる?

精油は一般的に「香り」として鼻の嗅覚にはたらきかけるイメージがありますが、実はそれだけではありません。最近の研究では、精油にも含まれる芳香成分が皮膚細胞に存在するTRPV3という温度応答性の受容体を介して、肌のリニューアル(細胞のターンオーバー)を促進する可能性が報告されています。TRPV3は約32〜39℃の“ぬくもり”に反応し、主に皮膚の表皮層に存在しています。興味深いのは、TRPV3は感覚神経にはほとんど分布せず、皮膚の細胞自体が温度を感知している点です。つまり、皮膚細胞が芳香成分を「嗅いで(応答して)」作用するメカニズムであり、非常に注目されています。

また、皮膚細胞にはPIEZO1という機械応答性のタンパク質も存在し、これは柔らかな刺激に反応して作動するイオンチャネルとして知られています。近年、PIEZO1が活性化されると、皮膚で“幸せホルモン”として知られるオキシトシンが分泌されることが報告されています。
TRPV3は穏やかな温度に、PIEZO1は柔らかな触覚刺激に応答するチャネルとして、皮膚の細胞に豊富に存在しています。こうした分子レベルのしくみが、私たちが感じる心地よさや多幸感の一端を担っていると考えられており、今後の研究により、ますます解明されることが期待されています。

最後に

植物が私たち現代の都市型生活者にもたらす影響、特に精油成分については、東洋医学の視点では「気の巡り」をよくするり理気薬としてのはたらきと関連し、さらに最新の研究では芳香成分には嗅覚とは異なるメカニズムで心身を整える作用を持つことが報告されています。こうした多角的な作用により、植物は私たちに心地よさをもたらす可能性を秘めています。
植物の力を上手に活用することは、ウェルビーイングの重要な一要素となるでしょう。

愛と記憶の象徴「ローズマリー」

Tips 愛と記憶の象徴「ローズマリー」

ローズマリー(Rosmarinus officinalis L.)はシソ科に属する芳香性の常緑低木で、地中海沿岸地域が原産です。食用や薬用、香料として古くから世界中で栽培されてきました。学名のRosmarinus officinalis L.はラテン語の「ros(露)」と「marinus(海)」に由来し、「海のしずく」を意味します。約2000年前にはイギリス、ギリシャ、イタリアなどに伝わり、記憶力の向上や忠誠、追憶の象徴として儀式や薬草に用いられてきました。シェイクスピアの『ハムレット』にも、“There’s rosemary, that’s for remembrance.”(ローズマリーは記憶のために)という台詞があり、中世以降ヨーロッパ文化において記憶や思い出の象徴として定着していたことが伺えます。

photo 植田翔

参考文献

・Ribeiro-Santos, R. et al. A novel insight on an ancient aromatic plant: The rosemary (Rosmarinus officinalis L.). Trends Food Sci Technol 45, 355–368 (2015).
・原島広至著, 生薬単 : 語源から覚える植物学・生薬学名単語集 改訂第4版, 丸善雄松堂, 2024
・Li, Y. et al. Plant essential oil targets TRPV3 for skin renewal and structural mechanism of action. Nature communications, 16(1), 2728 (2025).
・Labarrade, F. et al. Modulation of Piezo1 influences human skin architecture and oxytocin expression. International journal of cosmetic science, 45(5), 604–611 (2023).
・Heinrich, M. et al. Ethnobotany and ethnopharmacology--interdisciplinary links with the historical sciences. Journal of ethnopharmacology, 107(2), 157–160 (2006).